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『無垢の会』信州を訪ねて

『無垢の会(’69年機械工学科卒)』では、一昨年の「こてこて大阪地区の旅」、昨年の芝浦工大葉山セミナーハウスを拠点にした「鎌倉・横浜・江の島巡り」に引き続き、今年は善光寺門前町の仏都長野市と真田十万石の城下町松代を巡る「信州を訪ねて」を5月23~24日に開催しました。

参加は宮川元二・吉田修・宮田誠・松岡勉・福島敏彦・平島孝美・橋本雄吉・下郡愼治・栄井鎮夫・木下健治・沖村美津雄・海野徳英・古屋喜一・横地幹夫(以上敬称略、順不同)に今村均先生に加わって頂き私、北澤を含め総勢16名です。

以前から、新幹線を利用すれば時間的距離も近く、参加者が見込めるのではと、総会や幹事会の席で候補に挙がっていました。そこで奥さんの実家が長野市にある宮田さんが連絡調整役を、地元在住の丸山秀夫さんと北澤が計画立案を担当し、メールで行程表を練り上げました。(丸山さんは途中体調を崩し手術、参加は叶いませんでしたが、思わぬ展開が・・・後述)

さて、初日23日の10時30分、全員が長野駅新幹線改札口に近い観光情報センター前に集合。路線バスで善光寺を目指しました。

大門町停留所で下車、参道を高村光雲・米原雲海作の仁王像が睨みをきかす仁王門まで進み、善光寺の登録ガイドさんと合流、大本願境内に入り本誓殿や宝物殿で説明を受けました。

さらに仲見世通り、三門を通って本堂へ。内陣では、丁度正午から始まった法会に参列し、その後「お戒壇めぐり」へ。床下の真っ暗闇の回廊で「ご本尊真下にある錠前に触れると極楽に行ける」と言われています。後日、海野さんが地元山梨の伝統あるゴルフコンペで開催初のホールインワンの快挙、ご利益にあずかったとか・・・

境内周辺で遅めの昼食を済ませた後、宿差し回しの送迎バスで松代に向かい、途中、戦国武将 上杉謙信と武田信玄の合戦で有名な川中島古戦場に立寄りました。そこに前述の丸山さんが、手術後療養中の身を押して地酒の一升瓶をぶら下げてヒョッコリ現れ、驚きと感激の再会がありました。

次に一昨年NHK大河ドラマで話題となった真田十万石の城下町松代へ。真田家の菩提寺長国寺でバスを降り、住職の案内で初代藩主信之公と四代信弘公の御霊屋や歴代藩主の墓所を見学しました。

そこから徒歩で寺町商家、大林寺、真田信之公正室の小松姫菩提寺 大英寺や中級武士の暮らしぶりの窺える茅葺き屋根が美しい旧横田家住宅を巡り、再びバスに乗って本日の宿 国民宿舎「松代荘」へ向かいました。

この宿の湯は源泉掛け流し、川中島合戦の時武田信玄の「隠し湯」として兵士の傷と疲れを癒やしたとか・・・我々も今日一日の疲れを洗い流しました。18時半からの夕食は、久しぶりの再会に互いの近況報告や会員の消息に花が咲き、カラオケや校歌も飛び出して賑やかな宴となりました。

さて、翌日は松代大本営地下壕跡からのスタートです。第二次大戦末期、軍部が極秘のうちに大本営や政府機関等を松代に移すため掘削した総延長6Km 弱の大規模な戦争遺跡です。沖縄修学旅行の事前平和学習の一環で、長野県内の高校や中学の学生が多く訪れており、ボランティアガイドさん(北澤の現役時代の同僚)の説明に、皆さん考えさせられること大であった様です。

続いて健脚にものを言わせ、第3代藩主幸道公正室豊姫の墓所がある恵明寺、山寺常山邸、幕末の先覚者佐久間象山を祀る象山神社、白井家表門、藩の子弟が学問と武道を学んだ文武学校、藩士公舎の旧樋口家住宅、松代城の城外御殿であった真田邸等を歩いて見て巡りました。

お昼は栗菓子の店「竹風堂」で栗おこわに舌鼓を打ち、その後は自由行動。松代城址の石垣から川中島古戦場・妻女山や善光寺平の眺めを楽しむ者、真田宝物館で真田家の歴史を学ぶ人、池田満寿夫美術館で作品を鑑賞する人等々、思いおもいに、ゆっくりと過ごしました。

最後は、再び宿の送迎バスで長野駅へ。15時30分には解散となり、各々家路につきました。

二日間にわたり、一人の落伍者もなく、よく歩き、よく食べて飲んで騒ぎ、チョッピリ見聞を広め、互いの親睦を深めることができました。

なお、ゴルフ組が、翌日雨の中、飯綱高原の長野カントリークラブでゲームを楽しみました。

何処でどんな再会と驚きの出遇いがあるか、今から次回の親睦旅行が楽しみである。

 

写真・文責:北澤等

 

 

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