川上幸作先生の思い出
1969年卒 宮田 誠 川上先生が無垢の会から2021年12月25日に退会さ れました。 川上先生には、我々が卒業後も50年以上に渡ってお 世話になっており、2014年11月以降の無垢の会年次 総会には、ほぼ毎回参加頂いておりました。また、無垢 の会をテーマにした写真集やカレンダを多数作成し、無垢の会の活動を側面から盛り上げて頂きました。この 2年間、コロナ禍でお会いできなかったことが悔やまれ ます。ご自宅マ
ンション(市川
市)からの風景 は先生から頂い た最後の写真と なりました。
無垢の会の幹事会で川上先生をお迎えしようと発案 があり、先遣隊として福島君と共にご自宅(土気)を訪 問したあと、無垢の会有志による2012年11月12日の昭 和の森公園散策が実現しました。
その後、芝浦校舎校友会室での無垢の会年次総会にお 招きしました。
左から:後列:吉田修・吉田幸・升本・黒瀬・村田・石井・栄井・吉澤・ 古屋・丹羽・松阪・宮田
中列:甲田・下郡・松岡・平島・沖村・広恵
後列:菊川・木下・宮川・川上・今村・橋本・福島・北澤
川上先生の訃報を頂いてから3 ヶ月後の2022年3月、 1年前に転居された川上先生宅の奥様を訪ねました。 介護付きマンションの管理人の了解のもと、オートロッ クマンションの呼び出しキーを押しましたが、「はい」 だけで、会話できずに帰ってきました。コロナ禍の下で は無理押しできないと思いました。実は、入口錠を開け て待っておられたことを帰宅してからの電話連絡で知 りました。「 無垢の会の宮田」と名乗ったことですぐに 分かって頂いたようです。 2年前から肺に水が溜まる症状で治療が必要になり、 娘さんのいる市川市への転居を決意し、治療もうまく進 んでいたのですが、1年前から腸閉塞を患い、入退院を 繰り返すようになったそうで、最終的に12月25日にご 逝去されましたが、24日には3時間を共にできたこと が幸いだったそうです。でも急のことで気持ちも整理 がつかないと。この会話で、先生から結婚祝いに頂いた 言葉「 比翼連理」を思い出しました。無垢の会への出席 や関与は先生の生きがいだったそうです。無垢の会メ ンバーも総会で川上先生とお会い出来ることを楽しみ にしていたことをお伝えしました。とても喜んで頂き ました。
宮田は川上研究室で「 分岐管の研究」の一端に拘わら せて頂き、卒業から3年目に燃焼業界に迷い込みまし た。プロセスプラント向けのバーナは分岐管の集合品 で煙突の上端で燃えるフレアバーナもそのひとつ。国 内外の石油プラントや石油化学プラントの超低NOx バーナの開発や高温空気燃焼の研究では「 分岐管の研 究」が足跡を残す素になりました。 節目毎の川上先生との雑談で知見を追加した例が「川 上先生のワンポイントレッスン」。(T字分岐の研究/ A の両端で流路縮小が原則、圧損を減らすBでは30;70、 Cはほぼ良分配だが、Dの川上先生考案は絶品) 商品 に応用して性能確認しました。 無垢の会へのご支援と共に個人的にも支えて頂いた ことを感謝します。合掌。